認知症リスクと家族信託——いつ始めるべきか
2026年5月1日by 代表 髙岡宏

「うちはまだ大丈夫」と思っているうちが、実は家族信託を始めるベストタイミングです。認知症発症後では契約が組めなくなる仕組みと、厚労省データから見るリスクの実態、始めどきを判断する3つの軸を、福岡の司法書士がやさしく解説します。
「うちの親はまだしっかりしているから、家族信託はもう少し先でいい」——ご相談の場で、よくお聞きする言葉です。
ところが、実際にご依頼が間に合わなかったご家族から、後日こんなお声をいただくことがあります。「あのとき、もう少し早く動いていれば」と。
家族信託は、ご本人の判断能力があるうちにしか契約できない仕組みです。つまり「まだ大丈夫」と感じている今こそが、選択肢が一番広い時期でもあります。
この記事では、認知症リスクの実態をデータで確認したうえで、家族信託の「始めどき」をどう判断すればよいかを、福岡の司法書士の視点で整理します。今すぐ動かなくても、知っておくだけで備え方が変わります。
データで見る認知症リスク
まず、日本の認知症の現状を簡単に確認しましょう。
高齢者の認知症有病率
厚生労働省の研究班が2024年に公表した調査では、65歳以上の認知症有病率は推計で約12.3%、軽度認知障害(MCI)を含めると**約27.8%**とされています(厚生労働省「認知症及び軽度認知障害の有病率調査」)。
つまり、65歳以上の約4人に1人が、認知症またはその前段階にあると推計されているということです。
年齢が上がるほどリスクは高まる
同調査によれば、有病率は年齢とともに大きく上昇します。
| 年齢 | 認知症有病率の傾向 |
|---|---|
| 65〜69歳 | 数%程度 |
| 75〜79歳 | 1割前後 |
| 80〜84歳 | 2割前後 |
| 85歳以上 | 4割超 |
「平均寿命まで生きれば、誰にとっても他人事ではない」というのが、データから見えるリアルな姿です。
2040年問題
内閣府「高齢社会白書」や厚労省の推計によると、2040年には高齢者人口がピークに近づき、認知症の方の数も大きく増加すると見込まれています。介護・医療・財産管理のすべてで、家族の負担が高まる時代が目前に迫っています。
認知症発症後にできなくなる10のこと
「認知症になると財産が凍結される」と表現されますが、具体的に何ができなくなるのか、現場でよく問題になる10項目を整理します。
| # | できなくなること |
|---|---|
| 1 | 預貯金の引き出し(家族の代理請求にも応じない運用が一般的) |
| 2 | 定期預金の解約 |
| 3 | 不動産の売却 |
| 4 | 不動産の賃貸借契約・更新 |
| 5 | 大規模修繕や建替えの契約 |
| 6 | 株式・投資信託の売却・組み換え |
| 7 | 生命保険の契約・解約・受取人変更 |
| 8 | 介護施設入所の契約(高額一時金の支払いを含む) |
| 9 | 遺言の作成・書き換え |
| 10 | 家族信託の契約 |
特に8番(施設入所)と3番(実家売却)は同時に問題になるケースが多いです。「親が施設に入るタイミングで実家を売って費用に充てたい」と考えても、判断能力が低下していれば売却そのものが進められなくなります。
成年後見制度を利用すれば一部は対応できますが、家庭裁判所の許可が必要で、売却まで半年以上かかることも珍しくありません。
「家族信託は判断能力のあるうちにしか組めない」のメカニズム
ここが本記事の核心です。なぜ「発症後では遅い」のか、仕組みを噛み砕いて説明します。
家族信託は「契約」である
家族信託は、ご本人(委託者)と家族(受託者)が契約を結ぶ仕組みです。契約である以上、ご本人が契約内容を理解し、自分の意思で同意する能力が必要です。
民法上、判断能力を欠く状態での契約は無効とされる場合があります。認知症と診断され、契約の意味を理解できないと判断されれば、家族信託の契約は成立しません。
公証人・金融機関の意思確認が壁になる
家族信託の契約書は、通常公正証書として作成します。公証人は本人の意思能力を確認し、疑義がある場合は作成を断ることがあります。
また、信託口口座を開設する金融機関も、本人面談で意思確認を行うのが一般的です。「家族が契約書を持参するだけ」では成立しないのが実務の実態です。
MCI(軽度認知障害)段階なら可能性はあるが…
「物忘れが少し気になる」「MCIと言われた」という段階であれば、医師の診断書と慎重な意思確認のうえで契約できる可能性があります。ただし、進行のスピードには個人差があるため、MCIの診断が出た段階で動き出すのは、かなりギリギリのタイミングと言えます。
「もう少し様子を見よう」と数か月先延ばしにしている間に、契約が難しくなったケースが、ご相談の現場では実際にあります。
始めどきを判断する3つの軸
「うちはいつ動くべきか?」を判断するために、3つの軸でセルフチェックしてみてください。
軸① 年齢
絶対的な基準ではありませんが、目安としては次のとおりです。
- 50代後半〜60代: 親世代の対策を考え始める時期。情報収集スタート。
- 60代後半〜70代前半: ご本人にとってもベストタイミング。判断能力に問題なく、健康なうちに設計できる。
- 70代後半〜80代: 「動けるうちに動く」が合言葉。先延ばしのリスクが高まる時期。
軸② 健康状態
年齢よりも実は重要なのが、こちらです。
- もの忘れが家族から見て明らかに増えてきた
- 同じ話を繰り返す回数が増えた
- 慣れた道で迷うことがあった
- 通院・服薬の管理に乱れが出てきた
これらの兆候が一つでも見られたら、「まだ大丈夫」ではなく「今すぐ検討する」フェーズに入っていると考えたほうが安全です。
軸③ 家族構成
- 受託者になれる家族(子・甥姪等)がいるか
- 家族間で信頼関係と意思疎通があるか
- 主要な財産(不動産・預貯金)の規模感は把握できているか
家族信託は「家族の話し合い」が前提です。話し合いそのものに数か月かかることも多いため、決まってから動くのではなく、話し合いを始めるタイミングで専門家に相談するほうが結果的にスムーズです。
ケーススタディ
実際の現場感をお伝えするため、抽象化した2つのケースをご紹介します(個人を特定できない形に再構成しています)。
ケースA: 早すぎず遅すぎなかった例
70代前半のお父様が、ご本人の意向で家族信託を検討。ご家族で半年かけて話し合い、長男を受託者として自宅と収益不動産を信託。契約から3年後、お父様に軽度の認知症の診断が出ましたが、信託契約はすでに有効に動いており、長男が修繕や賃貸借契約を継続できました。
「あのとき動いていてよかった」とご家族が言われるケースは、こうした「先回り型」が多いです。
ケースB: 間に合わなかった例
80代のお父様について、ご家族から「実家の売却を考えたい」とご相談。ところが、面談時のご様子と医師の所見から、契約の意思能力に疑義がある状態でした。
家族信託は断念せざるを得ず、法定後見制度の申立てに切り替え。その後、家庭裁判所の許可手続きを経て売却に至るまで、約1年かかりました。
ご家族からは「もっと早く相談していれば」とのお言葉をいただきました。「先延ばしの数か月」が、後の「数年の手続き」を生む——これが現場の実感です。
ご依頼後も、時間との戦いです
「決めてから動けば間に合う」と思っていらっしゃる方が多いのですが、実際には、ご依頼から契約完了までも数か月単位の時間がかかります。
家族信託は、おおむね以下のような工程をたどります。
| 工程 | 期間目安 |
|---|---|
| ヒアリング・現状整理 | 2〜4週間 |
| 信託スキーム設計・家族間の合意形成 | 1〜2か月 |
| 契約書草案作成・調整 | 2〜4週間 |
| 公証役場との打ち合わせ・本人意思確認 | 2〜3週間 |
| 公正証書化・信託口座開設 | 2〜4週間 |
| 不動産がある場合の信託登記 | 2〜3週間 |
合計でおおむね3〜6か月が、私たち司法書士の経験上の標準的な期間感です。
そして、この3〜6か月の間に、ご本人の状況が変わるリスクは、決して机上の話ではありません。
ケースC: 完成寸前に間に合わなかった例
ご家族と3か月かけてヒアリングを重ね、契約書の最終調整も完了。あとは公証役場で公正証書にするだけという段階で、ご本人が緊急入院されました。
入院後3か月が経過した現在も、退院の見通しが立たず、意思能力の確認が必要な公正証書化を進められない状態です。
「もう少し早く相談していれば」というご家族の表現は、契約できなかった時だけでなく、契約完了直前で止まったときにも、同じ重さで使われます。
「動こう」と思った時点で、すでに時間との戦い
家族信託は、ご家族の意向を丁寧にすり合わせるほど、設計の精度が上がります。ですが、その時間こそが、リスクとの競争でもあります。
「いつかやろう」「来年でいい」を、**「今日、話だけでも聞いてみよう」**に変えるだけで、時間の余裕は大きく変わります。
「とりあえず話だけ」の段階でできること
「まだ動くかわからないけれど、知っておきたい」段階でも、できることは多くあります。
- 家族で財産の概要を共有する——どこにどんな資産があるか、リスト化するだけでも前進
- 親の意向を聞いておく——「実家はどうしたいか」「介護はどう希望するか」
- 専門家に概算費用と選択肢を聞く——家族信託・遺言・任意後見の比較
- 判断能力がしっかりしている時期に「家族会議」を一度開く
費用や設計の詳細は別記事「家族信託の費用相場」「家族信託が向くケース・向かないケース」もあわせてご参照ください。
よくあるご質問
Q1. 親はまだ60代で元気です。早すぎませんか?
A. 早すぎることは基本的にありません。家族信託は契約後すぐに「全権委譲」されるわけではなく、判断能力があるうちはご本人が今までどおり管理する設計が一般的です。早めに契約しておけば、いざという時の保険として機能します。
Q2. MCIと診断されました。もう間に合いませんか?
A. ケースによります。進行が緩やかで、契約内容を理解できる状態であれば、医師の診断書と公証人の意思確認のうえで契約できる場合があります。早めに専門家にご相談ください。
Q3. 親が「まだいい」と言っています。説得材料はありますか?
A. 「節税」や「相続対策」より、「お母さん(配偶者)が困らないようにするため」という切り口が響くケースが多いです。本人のためというより、残される家族のための備えとしてお伝えするのがコツです。
Q4. 認知症と診断されてしまった場合、もう何もできませんか?
A. 家族信託は難しくなりますが、法定後見制度で財産管理は可能です。柔軟性は下がりますが、手段がなくなるわけではありません。
まとめ
- 65歳以上の認知症・MCIの有病率は約27.8%(厚労省研究班2024年公表)
- 認知症発症後は預貯金・不動産・契約全般に大きな制約が生じる
- 家族信託は契約であり、判断能力のあるうちにしか組めない
- 依頼から契約完了まで3〜6か月——準備期間中も時間との戦い
- 始めどきは「年齢・健康状態・家族構成」の3軸で判断
- 「まだ大丈夫」のうちが、選択肢が一番広い時期
当事務所クロニクルでは、「まだ動くか決めていない」という段階のご相談も歓迎しています。家族信託・遺言・任意後見の選択肢を中立的な立場でご説明し、ご家族の状況に合った方向性をご一緒に整理します。司法書士と土地家屋調査士のダブルライセンスにより、不動産が絡むご相談にもワンストップで対応できます。
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