司法書士のための企業価値担保権——商業登記・信託・実行手続き実務の決定版

司法書士・土地家屋調査士 髙岡 宏
2026年5月14日

2026年5月25日に施行された企業価値担保権は、商業登記簿への登記が「効力発生要件」とされる新しい担保物権です。令和8年4月3日民商第68号通達で確定した申請人・添付書面・登録免許税・書面申請のみという制約、法第10条による機関決定、法第20条の処分制限まで、施行3か月時点の実務を整理します。
導入——商業登記が「効力発生要件」という新しい担保物権
2026年5月25日、事業性融資の推進等に関する法律(令和6年法律第52号、令和6年6月14日公布、以下「事業性融資推進法」)が施行されました。これにより新設された企業価値担保権は、不動産担保でも動産・債権譲渡担保でもなく、会社の総財産を一体として把握する新しい担保物権として、わが国の担保法制に正面から位置づけられます。
実務家としてまず腹に落としておくべきは、本担保権が債務者の本店所在地において商業登記簿に登記をしなければ効力を生じない——すなわち対抗要件ではなく効力発生要件として登記が構成されている、という点です(同法第15条)。民法第177条・第178条の発想、あるいは不動産登記法第3条以下の対抗要件主義、さらには動産及び債権の譲渡の対抗要件に関する民法の特例等に関する法律(動産・債権譲渡特例法)の登記による対抗要件具備とも異なる、より厳格な構成が採用されました。司法書士の側からみれば、契約締結=担保権発生ではなく、登記完了=担保権発生となるため、申請書の事前点検と申請日コントロールが従来以上に重い意味を持ちます。
わたしたちクロニクルは、福岡を拠点に司法書士と土地家屋調査士のダブルライセンスで、商業登記・不動産登記・信託登記を一体で扱ってきました。本記事は、同業の司法書士・補助者および関連士業(弁護士・税理士・行政書士)、ならびに登記実務を扱う銀行担当者に向けて、企業価値担保権をめぐる登記実務の論点を実務手続書の密度で整理するものです。一般的な実務論点の整理であり、個別案件への法的助言を構成するものではない点を、冒頭にお断りしておきます。
本記事の改訂について(2026年8月25日)
本記事は施行前の2026年5月14日に公開したものを、施行から3か月が経過した時点で全面的に改訂しました。公開時に「通達待ち」としていた論点の大半が、令和8年4月3日民商第68号通達(「企業価値担保権に関する登記の事務の取扱いについて」)と企業価値担保登記規則の公布によって確定しています。
とくに次の一点は、当初の記述を撤回して訂正します。設定時の機関決定について、公開時は「安全側の運用として株主総会特別決議の取得を推奨」と書きました。これは誤りです。事業性融資推進法第10条が意思決定機関を定めており、取締役会設置会社では定款に別段の定めがない限り取締役会の決議で足ります。会社法第467条の株主総会特別決議は要求されていません。この点を前提に助言された先生方には、お詫びして訂正いたします。
制度の背景と目的——経営者保証GLからの直線上にある
企業価値担保権がなぜ「いま」立法化されたのか。立法経緯を理解しておくと、条文の射程と実務運用の方向感がつかみやすくなります。
第一の背景は、経営者保証に関するガイドライン(全国銀行協会・日本商工会議所、2014年運用開始)以降、金融庁・中小企業庁が一貫して進めてきた「経営者個人に過度な保証を求めない融資慣行」への移行です。事業性融資推進法はその政策パッケージの最終ピースに位置づけられ、企業価値担保権付き融資では経営者保証の履行請求が原則として制限されます(同法第12条)。条文の作りは後述します。
第二の背景は、無形資産型企業の資金調達課題です。SaaS・研究開発型企業・コンテンツ事業など、価値の中心が「人・データ・ブランド」にある会社は不動産をほとんど保有しません。決算書の有形固定資産にあらわれない価値を、いかに融資判断に取り込むか——金融庁はこれを立法目的に正面から掲げ、企業価値担保権を「将来キャッシュフローを含む事業価値そのものを把握する担保」として設計しました。
第三の背景は、事業再生局面における雇用・取引先の保護です。担保権実行時、裁判所選任の管財人が事業を一体として第三者に譲渡する「事業譲渡型換価」が制度化されており、事業の解体ではなく継続価値の維持が制度設計の前提に置かれています。
企業価値担保権の主な特徴
条文ベースで押さえるべきポイントを、不動産抵当権との対比表で整理します。
| 観点 | 不動産抵当権 | 企業価値担保権 |
|---|---|---|
| 根拠法 | 民法第369条以下 | 事業性融資推進法 |
| 担保対象 | 個別の不動産 | 会社の総財産(現在・将来取得分含む、無形資産・のれん・将来CF) |
| 担保権者 | 債権者本人 | 内閣総理大臣の免許を受けた企業価値担保権信託会社(同法第32条・第33条) |
| 受益者 | (概念なし) | 融資実行金融機関(複数可・シンジケート対応) |
| 効力発生 | 設定契約(民法第176条) | 本店所在地における商業登記(同法第15条) |
| 対抗要件 | 登記(民法第177条) | 登記が効力発生要件のため、優劣は登記の先後(順位番号)で処理 |
| 設定者 | 制限なし | 株式会社・持分会社(個人事業主・医療法人・NPO法人等は対象外) |
| 機関決定 | 重要な財産の処分として取締役会決議等 | 同法第10条(取締役会設置会社は取締役会決議・非設置会社は取締役の決定または株主総会決議) |
| 借り手の処分権 | 抵当権設定後も自由処分可(追及効) | 通常の事業活動の範囲内は自由・範囲を超える処分は担保権者の同意要(同法第20条) |
| 実行 | 競売・任意売却 | 裁判所選任の管財人による事業譲渡型換価 |
| 個人保証 | 別途連帯保証契約により補完 | 保証の履行請求が原則として制限される(同法第12条) |
担保対象が**「物」から「事業」へ、担保権者が「債権者本人」から「信託会社」へ、登記の意味が「対抗要件」から「効力発生要件」**へ——この三つのシフトを押さえれば、以降の論点はおおむね一貫した発想で読み解けます。
施行後に確定した、手続の骨格
改訂にあたって最初に置いておきたいのが、通達と規則で確定した手続の枠組みです。条文の理解より先に、ここで段取りが決まります。
商業登記簿のなかの「企業価値担保権区」
企業価値担保権の登記は、独立した登記簿ではなく、**会社の商業登記記録に新設された「企業価値担保権区」**に記録されます。登記された順序に従って順位番号が付され、同順位のものには識別符号が付されます。
ところが手続の作りは商業登記ではありません。企業価値担保登記規則は、規則自身が定める事項のほかは不動産登記規則を準用すると定めています。共同申請、登記原因証明情報、順位番号、登記識別情報——不動産登記でなじんだ道具立てが、商業登記簿のうえで動きます。商業登記の感覚のまま構えると足元をすくわれる部分です。
当面は書面申請のみ
法務大臣の指定を受けた登記所がまだないため、申請方法は書面申請に限られます。オンライン申請はできません。あわせて、指定があるまでの間は登記識別情報に代えて登記済証が交付されます。抹消登記でこの登記済証を提出することになるため、設定時に受け取った登記済証の保管を、事務所の受領物管理に組み込んでおく必要があります。
商業登記との一括申請はできない
企業価値担保権の登記と、通常の商業登記を同一の申請書で申請することはできません。たとえば本店移転や商号変更を同時に進める場面では、申請書を分け、受付の順序まで設計することになります。効力発生要件である以上、順序を誤ると担保権の発生日そのものが動きます。
担保権設定登記の実務
申請人——登記の種類ごとに共同・単独が分かれる
通達により、登記の種類ごとの申請構造が確定しました。
| 登記の種類 | 申請の構造 |
|---|---|
| 設定 | 共同申請(設定者・企業価値担保権者) |
| 移転(合併) | 単独申請(合併後の法人) |
| 移転(受託者の変更) | 共同申請(変更前・変更後の受託者) |
| 順位の変更 | 共同申請(各企業価値担保権者) |
| 企業価値担保権者の名称・住所の変更 | 単独申請(企業価値担保権者) |
| 消滅(抹消) | 共同申請(企業価値担保権者・設定者) |
司法書士は両当事者から委任を受けるか、いずれか一方の代理人として関与します。双方代理に該当する場合は民法第108条の制約を踏まえ、本人の同意取得を契約書・委任状の段階で明示しておく運用が安全です。
順位の変更については、特定被担保債権者全員の同意が必要とされています(信託契約に別段の定めがある場合を除く)。複数行が関与する案件では、同意の取り付けそのものが工程になります。
機関決定——取締役会決議で足りる
設定者会社における機関決定は、事業性融資推進法第10条が定めています。会社の総財産を包括的に担保に供する行為でありながら、会社法第467条の株主総会特別決議は要求されていません。
| 設定者の機関構造 | 必要な機関決定 | 登記に添付する書面 |
|---|---|---|
| 取締役会設置会社 | 取締役会の決議(定款に別段の定めがある場合を除く) | 取締役会議事録 |
| 取締役会非設置会社 | 取締役の決定または株主総会の決議 | 取締役の決定書または株主総会議事録 |
冒頭で述べたとおり、本記事の初版では「安全側の運用として株主総会特別決議を推奨」と書きました。これは条文に反する助言であり、撤回します。実務上、株主構成が分かれている会社で株主総会決議を重ねて取ること自体は妨げられませんが、それは法の要求ではなく、あくまで社内の合意形成の問題として整理すべきものです。
議事録には、被担保債権の特定・信託会社の表示・担保権設定が経営に与える影響について議論した旨を残します。企業価値担保権は、設定後の事業運営に第20条の処分制限がかかる担保です。「担保を入れた」ではなく「経営の自由度に制約が入った」という説明が取締役会でなされたことを、記録に残す意味があります。
添付書面
設定登記の添付書面は次のとおりです。
| 区分 | 書面 |
|---|---|
| 登記原因証明情報 | 企業価値担保権信託契約に係る契約書の謄本 |
| 機関決定を証する書面 | 取締役会議事録(取締役会非設置会社は取締役の決定書または株主総会議事録) |
| 設定者 | 印鑑証明書 |
| 代理人による場合 | 委任状 |
添付書面は原本の添付が原則です。第10条の決議・決定を、そのまま書面で示すかたちになります。
登録免許税
登録免許税は、企業価値担保権1件につき3万円の定額です。被担保債権額に比例しません。不動産抵当権設定登記が債権額×4/1000であることと比べると、構造がまったく違います。
数億円の融資でも設定登記は3万円です。不動産抵当権と併用する案件では、コスト構造の異なる二つの担保を同じ決済で扱うことになります。見積書の段階で、依頼者にこの違いを説明しておくと納得が早い部分です。
申請書の様式
法務局のウェブサイトに、設定・合併による移転・受託者変更による移転・順位変更・企業価値担保権者の名称または住所の変更・消滅の各申請書様式が掲載されています。添付書面は原本の添付が原則です。初回案件では、様式をそのまま使い、記載例との差分だけを埋める進め方が安全です。
信託契約と付随契約の確認ポイント
公正証書化の要否
企業価値担保権信託契約について、公正証書化が法令上の必須要件とされているわけではありません。ただし実務上は、効力発生要件としての登記の前提となる契約の真正性確保、後日の紛争予防、契約締結日の確定日付取得の観点から、公正証書または公証人の認証を経た契約書とすることが望ましいと考えます。公証人手数料は登録免許税と比較しても軽微であり、ここを節約する合理性はあまりありません。
重要な財産の処分制限——第20条の三段構え
事業性融資推進法第20条は、設定者の処分権について三段の規律を置いています。
第一に、通常の事業活動の範囲内であれば、設定者は担保目的財産を自由に使用・収益・処分できます。在庫を売り、売掛金を回収し、設備を更新する。日常の事業はそのまま回ります。
第二に、通常の事業活動の範囲を超える重要な財産の処分や、事業の全部または重要な一部の譲渡には、企業価値担保権者の同意が必要です。
第三に、同意なくされた処分は原則として無効です。ただし、善意かつ無重過失の第三者には無効を対抗できません。
この第三の規律が、後述する不動産取引の実務に直結します。買主が保護されるかどうかは「善意無重過失」という評価にかかっており、調査を尽くしたかどうかがその評価を左右します。
司法書士の契約レビューでは、「重要な財産」の定義条項——金額基準(簿価か時価か、総資産比何%か)、性質基準(中核事業に組み込まれた資産か)、列挙基準(特定の重要資産の個別列挙)のいずれを採るか——と、同意手続の様式(書面主義か、信託会社の社内決裁との接続をどう書くか)を確認します。同意なき処分の効力については、法が原則無効と定めている以上、契約で損害賠償にとどめる書きぶりになっていないかを見ておく必要があります。
既存抵当権との優先関係
既存の抵当権・根抵当権等の個別担保権との併用は可能で、優劣は登記の先後で処理されます。ただし、企業価値担保権が「会社の総財産」を対象とする一方、個別の不動産抵当権は特定の不動産を対象とします。両者は対象財産のレイヤーが異なります。実行局面では、管財人が事業譲渡を進める際に、個別不動産の抵当権者との調整を別途要するなど、複層的な段取りが想定されます。
経営者保証の取扱い
同法第12条が制限しているのは、保証契約を結ぶこと自体ではなく、保証の履行を請求することです。企業価値担保権の被担保債権について経営者等が保証をしている場合、その履行請求は原則としてできません。粉飾等があった場合などの例外は残ります。
「経営者保証が禁止された」と一言で書かれることが多い部分ですが、契約パッケージをレビューするときに見るのは、保証契約そのものの有無ではなく、履行請求が制限される範囲です。既存の保証契約・覚書・連帯保証条項を通読し、どこまでが第12条の射程に入るかを整理することになります。
変更・移転・抹消の論点
被担保債権の範囲
被担保債権には特定被担保債権と不特定被担保債権の区分があります。融資条件の変更(増額・期限延長・利率変更・コミットメントライン枠の更新)をどちらで受けるかで、変更登記の要否そのものが変わります。根抵当権の元本確定前変更登記(民法第398条の4以下)との類似性が想起される部分ですが、効力発生要件としての登記である以上、変更契約の締結日ではなく登記完了日に効力が生じるという時間差を、金融機関側と共有しておく必要があります。
シンジケート組成と受益者変更
シンジケートローンでは、受益者である金融機関の追加・交代が生じます。受益者の変更は信託契約上の変更であり、登記される担保権者(信託会社)が交代しないのであれば、登記事項に変動が生じない設計が可能です。登記負担を最小化する設計——受益者は信託契約上のみで管理し、登記には信託会社だけを表示する——が定着していくとみられます。
一方、受託者そのものが交代する場合は、変更前・変更後の受託者による共同申請となります。合併による移転は、合併後の法人による単独申請です。
弁済による抹消
被担保債権の全額弁済により担保権は消滅し、抹消登記を申請します。申請構造は共同申請で確定しました。企業価値担保権者が登記義務者、設定者が登記権利者となり、登記の目的は「○番企業価値担保権抹消」、原因は「年月日弁済」等と記載します。
実務上の注意点は、設定時に交付された登記済証を提出するという点です。提出できない場合は印鑑証明書による取扱いとなります。不動産登記の登記識別情報と同じ発想ですが、交付されるのが登記済証である以上、紙の現物を数年単位で保管する運用になります。融資期間が長い案件ほど、預り証と保管場所の管理が効いてきます。
実行時の登記手続き
管財人型の事業譲渡
債務不履行が生じると、企業価値担保権者が裁判所に実行手続の開始を申し立てます。開始決定とともに企業価値担保権管財人が選任され、管財人が事業の経営と担保目的財産の管理処分の権限を専属的に持ちます。以後、事業を継続したまま第三者へ譲渡して換価し、債権届出・調査・確定を経て配当に至る、という流れです。
司法書士の関与は、
- 管財人選任決定書を添付した登記
- 譲渡先会社における商号・本店・事業目的等の登記、または新設会社の設立登記
- 譲渡対象資産に不動産が含まれる場合の所有権移転登記
- 譲渡対象資産に商業登記事項(支店登記等)が含まれる場合の各所要登記
- 企業価値担保権の抹消登記
を時系列で組み立てる作業になります。
第二会社方式との比較
従来の私的整理・民事再生で用いられてきた第二会社方式と異なり、企業価値担保権の実行は裁判所主導の管財人型であり、債権者間の調整は管財手続のなかで処理されます。商業登記の段取りも管財人主導で進みます。手続の透明性・債権者平等は確保されやすい一方、案件期間が長期化しうるため、登記スケジュールを管財人と密に共有して進める必要があります。
法務局・税務署対応の同時並行
事業譲渡に伴う商業登記・不動産登記・税務(消費税・登録免許税・不動産取得税)の段取りを、管財人・税理士・司法書士で同時並行に進めます。クリティカルパスを最初に共有し、申請順序のミスによる課税関係の齟齬を防ぐ運用が望まれます。
なお、資産税は税理士のなかでも畑が分かれる領域です。顧問税理士が法人税を主戦場としている場合、事業譲渡に伴う課税関係の設計は別の専門家の目を入れたほうが安全なことがあります。顧問を替える話ではなく、局面ごとに畑の合う人を足すという発想です。わたしたちからも資産税に強い税理士をご紹介できます。
不動産取引における新たな確認オペレーション
ここからは、ダブルライセンス事務所として不動産決済の現場に立つ立場から、本制度が不動産取引実務に及ぼす波及を扱います。不動産登記に関与する司法書士全員が、法人売主案件で直面する論点です。
二層構造がもたらす確認漏れリスク
企業価値担保権は会社の総財産を一体として把握する制度であり、会社が所有する個別の不動産について、不動産登記簿には何も記載されません。「会社の総財産は商業登記で、個別財産は各登記簿で」という二層構造が維持されます。
この構造が、法人を売主とする不動産取引に実務論点をもたらします。すなわち、不動産登記記録に抵当権・根抵当権等が存在しないことを確認できても、それだけでは担保負担がないとは言い切れないのです。当該不動産の処分が第20条の「通常の事業活動の範囲を超える重要な財産の処分」に当たるなら、企業価値担保権者の同意なしにされた処分は原則として無効です。
買主が保護されるのは「善意無重過失」のとき
ここで効いてくるのが第20条第3項です。同意なき処分の無効は、善意かつ無重過失の第三者には対抗できません。買主は保護されうる。しかし保護されるかどうかは、買主が知らなかったこと、そして知らなかったことに重大な過失がなかったことにかかっています。
売主法人の商業登記を見れば企業価値担保権の登記は公示されています。公示されているものを見ずに決済したという事実が、重過失の評価にどう働くか。ここは施行後の裁判例の蓄積を待つほかありませんが、少なくとも「登記を確認しなかった」と説明せざるを得ない状態を作るべきではありません。
決済前の確認フロー
法人を売主とする取引では、次の確認が標準になっていくとみています。
- 通常の不動産登記情報の確認(甲区・乙区)
- 売主法人の商業登記情報の確認——企業価値担保権区の有無をチェックする
- 登記がある場合、当該不動産の処分が通常の事業活動の範囲内か、範囲を超えるかを売主・売主代理人と確認する
- 範囲を超えると判断される場合、企業価値担保権者の同意書面の取得を売主に求める
- 同意書面の様式(信託会社の公印・名義・有効期限)の確認、必要に応じて信託会社への直接照会
従来の「商業登記事項証明書による代表者権限の確認」とは、まったく別レイヤーの作業です。代表者の権限が適法に行使されていても、第20条の処分制限に抵触すれば処分の効力自体が問われます。
ダブルライセンス事務所からの提言
わたしたちクロニクルは、法人売主案件の決済前チェックリストに「企業価値担保権区の確認」を独立項目として明記し、補助者教育にもこの手順を組み込みました。同業の先生方におかれても、決済前チェックリストの改訂と、不動産仲介業者向けの情報提供を進めていただくことを強くお勧めします。仲介業者には「売主が法人のときは商業登記も見る」という一行が伝われば十分です。
第一号案件は施行初日に出た
初版では、第一号案件を「おそらくメガバンクと大手スタートアップの組み合わせから出る」と予想しました。実際は違いました。
施行初日の2026年5月25日、福井銀行が商工中金と協調し、業歴110年を超える福井県の合繊織物メーカーに対して企業価値担保権付き融資を実行したとリリースしています。無形資産型のスタートアップではなく、地方の老舗製造業でした。以後、地方銀行から実行事例の公表が相次いでいます。
九州でも動いています。日本経済新聞の報道によれば、筑邦銀行が再生型M&Aの買収資金として企業価値担保権を活用した融資を実行しました。買収資金という使い道は、この担保が「担保に取れる資産がない会社の運転資金」だけの制度ではないことを示しています。事業そのものに価値があるなら、その事業を買う金の担保にもなる。
福岡の司法書士にとって意味するところは単純です。波が来るのを待つ段階は終わりました。県内の地銀が実行した以上、設定登記の依頼は同じ商圏から出てきます。
実行局面の対外コミュニケーション
設定案件が増えれば、いずれ実行案件も出ます。事業継続を前提とする制度設計とはいえ、「担保権が実行された」という事実は対外的にネガティブに映りやすく、設定者会社の取引先・従業員・地域コミュニティに与える影響は無視できません。
司法書士としては、設定段階から実行局面の対外コミュニケーション(プレスリリース文案・取引先通知・従業員説明)を想定しておくことを提言する余地があります。単なる契約レビューを超えた、事業継続性の総合プロデュースに近い役割であり、本制度における士業の新しい付加価値領域だと考えています。
報酬基準の考え方
報酬体系は各事務所・各単位会の指針に従って設計しますが、論点整理として三層で考えるのが実務的です。
第一に既存類似業務の延長——共同申請・添付書面の整備・登録免許税の納付といった申請業務そのものは、既存の商業登記報酬基準で評価できます。
第二に新規論点に係る評価——信託契約のレビュー、機関決定書類の整備、効力発生要件としての登記の精度確保(申請日コントロール)、書面申請しかできないことによる往復の手間、不動産取引における二層構造の確認オペレーション。ここは追加の評価軸が要ります。時間制報酬の併用が現実的です。
第三に実行時対応——管財人主導の登記対応は案件ごとに作業量が大きく変動するため、着手金+成功報酬または日当ベースの個別見積もりが穏当です。
事例の蓄積を踏まえ、日本司法書士会連合会・各単位会の発信を継続ウォッチしながら、段階的に整えていく姿勢が望まれます。
司法書士が今やるべきこと
施行から3か月が経った時点で、わたしたちが優先しているのは次の5点です。
- 通達と規則の素読——令和8年4月3日民商第68号通達と企業価値担保登記規則を一次情報で読む。とくに規則が不動産登記規則を準用している点は、条文を追わないと感覚がつかめません
- 申請書様式の入手と記載例の作成——法務局公表の様式をダウンロードし、自事務所の記載例を先に作っておく。書面申請しかできない以上、様式の不備は往復に直結します
- 地域金融機関との情報交換——福岡においては西日本シティ銀行・福岡銀行・北九州銀行・筑邦銀行といった地域金融機関との情報交換ルートを確保する。すでに実行事例のある銀行が県内にあります
- 不動産取引チェックリストの改訂——法人売主案件における企業価値担保権区の確認を、決済前チェックリストに独立項目として追加する
- 実行事例と裁判例のウォッチ——第20条第3項の「善意無重過失」がどう評価されるかは、これから固まります。連合会・各単位会の研修とあわせて追いかける
まとめ——制度は動き出した
商業登記簿のなかに新設された企業価値担保権区、不動産登記規則を準用する手続、当面は書面申請のみという制約、信託会社を介在させる二層構造、管財人主導の事業譲渡型実行、そして不動産取引現場における新たな確認オペレーション——これらを条文レベルと手続レベルの双方で押さえておくことが、これからの競争力の源泉になります。
施行前に「1年以内に来る波に備える」と書きました。波は、施行初日に来ていました。
わたしたちクロニクルは、福岡を拠点に司法書士・土地家屋調査士のダブルライセンスで、商業登記・信託・不動産を一体で扱える体制を整えています。同業の先生方との情報交換・勉強会を歓迎しております。本制度をめぐる実務論点について、現場感のある意見交換ができれば幸甚です。
シリーズ告知
本記事は特別企画EVシリーズ第4弾です。
- 5/11(月): 企業価値担保権とは何か——10分でわかる新制度(一般向け)
- 5/12(火): 銀行員・金融機関担当者向け——融資実務はどう変わるか
- 5/13(水): 経営者向け——自社で活用できるかの判断基準
- 5/14(木): 司法書士・士業向け(本記事)
- 5/15(金): 今後予想——2027年以降のシナリオと地域金融への波及
参考法令・出典
- 事業性融資の推進等に関する法律(令和6年法律第52号、令和6年6月14日公布、令和8年5月25日施行)
e-Gov: https://laws.e-gov.go.jp/law/506AC0000000052/ - 企業価値担保登記規則(令和8年4月3日公布)
- 令和8年4月3日民商第68号 法務省民事局長通達「企業価値担保権に関する登記の事務の取扱いについて」
- 法務局「企業価値担保権の登記に係る申請の方法、申請書様式について」
https://houmukyoku.moj.go.jp/homu/page8_000001_00025.html - 不動産登記規則(平成17年法務省令第18号)——企業価値担保登記規則による準用
- 会社法(平成17年法律第86号)第295条・第348条・第362条・第467条・第590条
- 民法(明治29年法律第89号)第108条・第176条・第177条・第369条・第398条の4
- 登録免許税法および同法別表第一
- 信託業法(平成16年法律第154号)および企業価値担保権に係る特則
- 金融庁「金融仲介機能の発揮/事業性融資の推進(企業価値担保権等)」
https://www.fsa.go.jp/policy/kigyoukachi-tanpo/index.html - 株式会社福井銀行「福井銀行として初めての企業価値担保権付き融資の実行について」(2026年5月25日)
- 日本経済新聞「筑邦銀行、『企業価値担保権』で初融資 M&A支援で目利き力生かす」(2026年6月)
- 経営者保証に関するガイドライン(全国銀行協会・日本商工会議所、2014年)
※ 本記事は2026年5月14日に公開し、2026年8月25日に施行後の確定情報を踏まえて全面改訂しました。一般的な実務論点の整理であり、個別案件への法的助言ではありません。





