親の実家、売るに売れない──元気なうちに備える「実家信託」という選択
2026年4月20日by 代表 髙岡宏

実家で一人暮らしする親が認知症になったら、介護施設の費用を捻出するために実家を売ろうとしても「売れない」──この現実に直面するご家族が急増しています。福岡の司法書士が、元気なうちに備える「実家信託」という家族信託の活用法を、具体的な事例とコスト比較で解説します。
「母は福岡の実家で一人暮らし。元気だけれど、もし認知症になったら介護が必要で、私は大阪暮らしだから一緒に住めない。実家を売って介護施設の費用に充てようと思っているが、それで問題ないですよね?」
このようなご相談が、ここ数年急増しています。ご両親が地方の実家で独居、ご自身は都市部で生活──このパターンは、40代以降の世代にとって他人事ではありません。
しかし、多くの方が知らない事実があります。親が認知症になった後では、実家を売ることは原則としてできません。売ろうと思ったときには、もう遅いのです。
この記事では、親が実家に独居しているご家族に向けて、この「実家が売れない」問題の本質と、元気なうちに備える**「実家信託」(自宅を信託財産とする家族信託)**という選択肢について、具体的な事例とコストの数字を交えながらご説明します。
親の独居が他人事ではない時代
統計がこの問題の広がりを物語っています。
- 2024年の65歳以上の人口:約3,600万人(総人口の29%)
- 2025年の65歳以上の認知症患者:約730万人(20%)
- 2050年の推計:認知症患者は約1,016万人(27%)に上昇
65歳以上の5人に1人が認知症──これが現実です。加齢とともにリスクは加速度的に高まり、**85歳後半では男性25%、女性37%**と推計されています。
そして、介護が必要になる最大の原因も認知症。要介護になった場合、介護費用は月額平均83,000円、期間は平均5年1ヶ月、総額は約580万円にのぼります。
「親の介護費用をどう捻出するか」は、40代以降の世代にとって避けて通れない課題です。
認知症が起こす「資産凍結」という壁
ここで問題が起きます。**認知症によって判断能力が失われると、本人の財産は事実上「凍結」**されるのです。
- 預金の引き出しができない(家族であっても)
- 定期預金の解約ができない
- 株などの売却ができない
- 不動産の売却・賃貸ができない
- 相続対策の着手もできない
「実家を売って介護費用に充てる」──このごく当たり前の選択肢が、認知症発症後は本人の意思表示ができないため、契約行為そのものが不可能になります。
子である自分が代わりに売ろうとしても、法律上は所有権が親にある以上、勝手には売れません。
唯一の救済策「成年後見制度」の落とし穴
認知症発症後に親の財産を動かすための唯一の公的制度が成年後見です。しかし、この制度には現場では知られにくい注意点が多数あります。
成年後見を使えば実家を売れる、しかし……
実家を売却するには以下2つが必要です。
- 家庭裁判所への後見人選任の申立て
- 実家売却について家庭裁判所の許可
選任まで1〜3ヶ月、その後の売却許可手続きも含めると半年近くかかることがあります。さらに──
成年後見制度の4つの現実
- 後見人を選ぶのは裁判所:親族を希望しても8割は弁護士・司法書士などの専門職が選任される
- 報酬は継続発生:専門職後見人は月額平均約3万円。これが親が回復するか亡くなるまで続く
- 基本は財産維持:積極的な運用は不可。一度決まった後見人を家族判断では解任できない
- 裁判所監督下:売却・支出のたびに裁判所への報告・許可が必要
仮に母親が80歳で成年後見を開始し、90歳で亡くなった場合、専門職後見人への報酬だけで360万円以上。しかも家族の意思は基本的に通りません。
成年後見は「事後対応」の最後の手段であり、事前対策としては機能しないのです。
実家信託という選択肢
そこで注目されているのが**家族信託、特に自宅を対象とした「実家信託」**です。
家族信託とは、元気なうちに信頼できる家族に財産の管理を託す契約です。登場人物は3者。
- 委託者(親):財産を託す人
- 受託者(子):管理・運用・処分する人
- 受益者(親=委託者と同一):利益を受け取る人
実家信託を結ぶと、親が認知症になった後でも、受託者である子が自分の判断で実家を売却できます。売却代金は「受益者=親」のために使うため、贈与税もかからず、介護施設の費用に充当可能です。
家庭裁判所の関与は一切不要。家族の意思で柔軟に動けます。
具体事例:45歳長男Aさん・80歳母Bさんのケース
当事務所にご相談をいただいた典型的なケースを、匿名化してご紹介します。
ご家族の状況
- 母Bさん(80歳):福岡市内の実家で独居。亡き夫から相続した単独名義。現在は元気
- 長男Aさん(45歳):一人っ子。大阪在住、妻と子ども2人。頻繁に福岡に戻れない
- 希望:将来、母が介護必要になったら施設入所。そのため実家を売却して費用に充てたい
3つのシナリオを比較
①対策しないまま認知症発症した場合
入所費用はAさんが立て替え、母の死後に相続財産と精算。または成年後見制度を利用(月3万円の報酬が発生、実家売却に裁判所許可が必要)。
②生前贈与で対処
実家をAさんに贈与。しかし:
- Aさんに不動産取得税・登録免許税・登記費用がかかる
- 相続時精算課税で贈与税はゼロにできるが、将来売却時に譲渡所得税が課税される
- Aさんは母と同居していないため3,000万円特別控除が使えない
- 相続時に小規模宅地等の特例も適用外
③実家信託を活用
母が委託者兼受益者、Aさんが受託者となる信託契約を締結。母が認知症になった後でも、Aさんが受託者の権限で売却可能。
- 税負担は登録免許税のみ(不動産取得税・譲渡所得税なし)
- 課税は母Bさんにされるため3,000万円特別控除が使える
- 相続時には小規模宅地等の特例も適用可能
- 遺言としての機能もあり、二次受益者を指定可能
コスト比較:実家信託は生前贈与より圧倒的に安い
土地評価額1,000万円・建物評価額500万円(築35年)の自宅を、親から子(非同居)に承継する場合のコスト試算です。
生前贈与の場合(合計 約436万円)
- 贈与税 366万円
- 不動産取得税 30万円
- 登録免許税 30万円
- 司法書士報酬 10万円
実家信託の場合(合計 約58万円)
- 登録免許税 8万円
- 司法書士報酬 20万円
- コンサル料金 30万円
差額は約380万円。さらに実家信託では、将来の売却時の譲渡所得税も抑えられます。
※生前贈与は相続時精算課税を利用した場合、合計70万円まで圧縮可能(別途申告費用)
※信託契約書を公正証書にする場合、約7万円追加
タイミング:元気なうちにしか契約できない
実家信託の最大の落とし穴は、認知症発症後は契約が成立しないことです。契約には本人の判断能力が必須だからです。
- 元気なうち:実家信託・任意後見・生前贈与・遺言(すべて可能)
- 物忘れの兆し:実家信託の最後のタイミング
- 認知症発症:法定後見のみ(家族の意思は届きにくい)
- 亡くなった後:もう何もできない(相続のみ)
「まだ母は元気だから、もう少し後でいいだろう」──この先延ばしが、ご家族にとって一番の落とし穴です。物忘れが目立ち始めてからでは、間に合わないケースが少なくありません。
こんなご家族は今すぐ検討を
以下のいずれかに当てはまる方は、実家信託の検討をおすすめします。
- 親が実家で独居している、またはその可能性が高い
- 自分は親元を離れて暮らしており、将来的に実家に戻る予定がない
- 将来、親の介護費用として実家売却を考えている
- 親に判断能力があるうちに、家族で対策をしておきたい
- 成年後見制度のデメリットを避けたい
まとめ
- 親が認知症になると、実家は「売るに売れない」状態になる
- 成年後見制度は事後対応の最後の手段であり、家族の意思は通りにくい
- 実家信託は元気なうちに契約することで、認知症後も家族の判断で売却可能
- 生前贈与に比べてコストが約380万円も安く、税務上のメリットも大きい
- 契約は判断力があるうちにしかできない。早めの検討が鍵
当事務所クロニクルでは、司法書士・土地家屋調査士のダブルライセンスで、実家信託のご相談から契約書作成・信託登記・不動産関連手続きまでをワンストップで対応しています。福岡を拠点に、遠方にお住まいのご家族にもオンラインでご相談を承ります。
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